『勉強嫌いの子』は学校が作っている(断言)

※主観ですが,おそらくここから書くことはあっています。

手はものをつかむための器官,

脚(足)は歩くための器官,

眼はものを視るための器官,

舌は味を感じるための器官,

耳は音を聴き取るための器官,

消化管は食べたものを消化するための器官です。

 

それでは,『”脳”は何のための器官か』と言われたら,

もちろん”考える”ための器官です。

 

ヒトは,ほかの生物に比べて,とりわけ脳が大きく発達しているそうです。

 

そうであるならば,ヒトは考えることが得意なはずです。

 

走っているチーターや,泳いでいるイルカを思い浮かべてみてください。

 

『チーターって走るために生きているんだな』や『イルカは泳ぐために生まれてきたんだな』という感想を持つ方も多いのではないかと思います。

 

もちろん,足の速いチーターもいれば,ほかよりも泳ぐのが遅いイルカもいるはずです。

 

彼らは足が速かったり,泳ぐのが速くなければエサが取れずに死んでしまうので,

好きで走っている(泳いでいる)かと言われれば,わからないですが,

『私は走るの(泳ぐの)キライ』と思っているものは少ないのではないかと思います。

 

対して,ヒトはどうでしょうか?

 

東大や開成高校出身のYoutuberの方は『もともと勉強が好きだった』ということを言われていたりしますが,

多くの方は『勉強なんてキライ(やりたくない)』と思われているのではないでしょうか?

 

これは自然と比較すると明らかに異常な気がします。

 

『私は英検1級レベルの勉強が好き』,『私は英検4級レベルの勉強なら楽しい』,

『私は微分方程式を解くのが好き』,『私は分数の計算が楽しい』といった具合で,

チーター(イルカ)が走る(泳ぐ)速さは違っても,みんな走る(泳ぐ)ことは(たぶん)好きなように,

人間も考えることのレベル(難易度)は違っても,考えるのが好きなのが自然なはずです。

 

それでは,なぜ多くの人が『勉強嫌い』なのでしょうか。

 

それはおそらく,学校で周りと比較されて,

『勉強できないやつ』というようなレッテルを張られたりしているせいなのではないかと思います。

 

競争原理で,イヤでも勉強させれば,全体の学力が上がるという一面も確かにあるかもしれません。

 

ただ,私は”トリビアの泉”とかは好きでしたが,学校の勉強はずっと嫌いでした。

 

人はレベル(難易度)が違えど『知ること』,『考えること』が好きなはずです。

 

物理学者の方は世の中で数人しかわからないようなことを考えて楽しんでいればいいでしょう。

 

そうでない人も,『空ってなんで青色なのかな?』とか,

『炎の温度って何℃くらいなのかな?』とか,

『学校(職場)まで2 kmで30分かかるってことは,時速4 kmくらいで歩けばいいな。』などと,

自由に考えても良いのではないでしょうか。

 

競争原理なんかで全体の学力を伸ばそうと考えるのがダメなんだと思います。

 

学校の制度を作っているお役人さん(文科省の官僚さん?)は,

小学生(もしかしたら幼稚園?)からずっと優等生だった人たちです。

 

勉強できない人のおかげで,優越感を感じて学校生活を送れていた人たちです。

 

そんな人たちが考える制度で,全員が楽しい学校生活を送れるでしょうか?

 

送れるわけないと思いますよ。

 

ヒトはほかの生き物よりも”脳”が発達しています。

 

チーター(イルカ)が走る(泳ぐ)のを生きがいにしているように,

ヒトは”知ること”,”考えること”が大好きなはずです。

 

『好き』と『得意』は違います。

 

『苦手なもの』を『好き』と言って何がいけないのでしょうか。

 

私はスポーツが得意です。

小中高の体育の成績はずっとほぼ満点でした。

それは,両親から良い身体をいただいたからという理由だけであって,

べつにスポーツは好きではありません。(キライでもないですが。)

 

一方で,私は理科や数学が苦手です。

しかしながら,冷蔵庫やパソコンなどの電化製品,

発達した医学は理科や数学の産物です。

なので,私はそんな理科や数学が好きです。

 

学校の先生は,

『点数(できているかいないか)』でその子の好き嫌いを判断してしまっているのではないでしょうか。

 

その誤解のせいで『勉強嫌い』を量産していることにも気づかずに…

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