自分なりの教育論(工事中)
昔の先生方のお話をお聞きすると、夜な夜な飲み歩いては同期の方と教育論をぶつけておられたというお話を耳にします。
私自身、現在長野県内の某高校に勤めさせていただいておりまして、全体研修には毎月参加させていただいておりますが、コロナ禍の影響もあり、同僚の先生方と腹を割って教育論をぶつけ合わせ研鑽するということはできておりません。
本を読めばを「こうあるべき」ということは書かれているかとは思うのですが、ここではそのようにかしこまった内容ではなく、私が生きて体験してきたことを元にして、どのようにして子どもたちを"教育"していくのが良いかを考えていくことができればと思います。
まずは"教育論"の定義ですが、ここでは「私が人を教育するにあたって大切だと思う心得」とさせていただこうと思います。
昨今、『教育の目的はその子が将来大きな壁にぶつかった際に自分の力で乗り越えられるようにすることである。』ということを耳にすることが多くなってきました。おそらくそうなのでしょう。
その意味でいうと、私が成長する上で大切であった"場"として、高校の部活動と予備校が挙げられます。
高校の部活動では、顧問の先生は大変熱心に人間形成のための指導をしてくださいましたが、技術的なことは生徒を信じて任せてくださっていました。今思えば、Youtubeを観たり(当時はなかったですが)、本を読んだりすればすぐにわかるようなことを、五里霧中の中を模索しながら延々とヘタなテニスを続けていました。一見、効率はとても悪かったですが、答えのわからない課題に懸命に取り組むという姿勢はこのとき育てることができたのかなと感じます。
また、予備校では、『自分自身ではどうにもならないことは人を頼るしかない。』ということを学ぶことができたのかなと思います。傲慢な人間を誰も助けてはくれません。それまでワガママ放題であった私が多少まともになることができたのは、高校卒業後の予備校での2年間のおかげかと思います。
つづく…